自分を変えたい!人生に悩んでいる人におすすめ【嫌われる勇気】内容まとめ

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【 嫌われる勇気 】 自己啓発の源流「アドラーの教え」 岸見一郎 古賀史健 ダイヤモンド社

人は、誰もが幸せになることができる。

世界はシンプルであり、人生もまたシンプルである。

こんな人に読んでほしい

対人関係に悩んでいる人今の自分に不満がある人変わりたいと思っているけれどなかなか変われない人に読んで欲しい本です。

若者からお年寄りまで、この本を読んで新しい考え方を学んで欲しいと思います。

哲学者と青年の対話形式で、読みやすいです。この本を読むと今までの価値観をひっくり返されるような感じがして、認めたくないと思ってしまい、内容が入ってこないかもしれません。

もしかしたら、何を言っているかわからないという人も出てくるかもしれません。

『嫌われる勇気』であなたの人生は変わるのか?・・・変わらないのか?

アドラー心理学とは

オーストリア出身の精神科医 『アルフレッド・アドラー』の心理学です。

『アドラー心理学』は個人心理学を提唱する、ユング、フロイトと並ぶ三大巨頭です。

心に残ったアドラーの言葉 3つ

大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである

アルフレッド・アドラー(嫌われる勇気)

これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない

アルフレッド・アドラー(嫌われる勇気)

一般的な人生の意味はない。人生の意味はあなたが自分自身に与えるものだ

アルフレッド・アドラー(嫌われる勇気)

人は変われる!

なぜ、人は変われないのか?

人が変われない理由に、過去のトラウマや、自分に何らかの原因があると思い浮かべてしまいます。しかし、何らかの原因があるせいで今の結果があると考える、”原因論”に縛られていては、人は変わることができません。原因や、それとなるトラウマなど存在しないのです。アドラー心理学では目的論 ”= 目的があるから、その行動をとっていると考えます

これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない

アルフレッド・アドラー(嫌われる勇気)

もしトラウマという過去の出来事によって、今現在の状況が決定されてしまうのであれば、同じ出来事が過去にあった人は今同じ現在を生きていることになりますが、そうはなっていません。

大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである

アルフレッド・アドラー(嫌われる勇気)

「もしも〇〇だったら」と、可能性の中で生きているうちは人は変われません。なぜなら、可能性の中で生きているほうが希望があるからです。いろいろ不満はあったとしても今のまま変わらないでいるほうが、楽だと思っています。

変わりたくても変われずにいるのは、常に「変わらない」と言う決心をしているからです。私たちに必要なのは、他者との交換ではなく、自分自身の更新です。

なぜ自分のことが嫌いなのか?

それは、他者から嫌われ、対人関係で傷つくことを過剰に恐れているからです。

自分の短所ばかりを見つめ、自分を好きにならないでおこうとしているのです。

(ギリシア語では)「善」= ためになる 「悪」= ためにならない という意味があります。世の中で起きている犯罪や悪事においても、それを行う人は何か自分のためになっていることをしています。世の中に自分のためにならないことを欲する人はひとりもいないのです。

アドラー心理学では性格や気質(思考や傾向)のことを「ライフスタイル」といいます。ライフスタイルは先天的に与えられたものではなく、自分自身で変えていけるものです。

あなたは、あなたのまま、「ライフスタイルを変える」と決めてしまえばいいのです。

全ての悩みは対人関係の悩みである

宇宙でただひとり「わたし」しかいないのなら悩みは存在しない。

人は無力な存在としてこの世に生を受けます。そしてその無力な状態から脱したいと願う普遍的な欲求を持っています。(優越性の追求)簡単にいうと、向上したいと願うことや、 理想の状態を追求することです。

その理想に到達できていない自分に対して、まるで劣っているかのような感覚を抱く劣等感』は主観的な思い込みです。

その劣等感をバネにして前に進むことができればいいのですが、劣等感をネガティブに捉え、どうせ自分なんてと思ってしまいます。(劣等コンプレックス劣等感を言い訳にして、できないと決めつけてしまうのです。「AだからBできない」と言っている人は「Aさえなければ、私は有能であり価値があるのだ」と暗示しています。努力や成長といった健全な手段によって、補償する勇気がないのです。

そしてこの劣等コンプレックスでも満足できない人は、優越コンプレックスという、安直な手段によって補償しようと考えます。あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸るのです。自慢をする人は、そのことを武器に自分は特別であると相手を支配しようとしています。自分が人より劣っている部分を取り上げて話す人もまた、自分が人より劣っているということに対して特別であろうとしているのです。

人生は他者との競争ではない

誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいい。

劣等感とは、人と比較するものではなく、理想の自分と比較するものです。人間は一人ひとり誰もが違っています。性格、年齢、知識、経験、外見、全く同じ人間はどこにもいません。「同じでないけれど対等」なのです。

今の自分より前に進もうと考えるようにしましょう。みんなが同じ場所に立ちそれぞれ前に進みます。それが右でも左でも前でも後ろでも関係ありません。

対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることができません。いつの間にか他者全体のこと、ひいては世界のことを敵だと見なすようになってしまいます。「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できれば世界は違ったものになるでしょう。

他者が私に対して権力争いを仕掛けてくることがあります。権力争いに負けた相手は、潔く引き下がればよいのですが、争いに敗れた相手は次の段階に突入します。権力争いから復讐へ。非を認めることは負けではありません。権力争いからは降りましょう。

他者を敵だとみなし、仲間だと思えない理由は、『人生のタスク』から逃げているからです。

人生のタスク

人生の行動面の目標は2つ、①自立すること ②社会と調和して暮らせることです。

その行動の心理面の目標はそれぞれ、①わたしには能力がある、という意識 ②人々はわたしの仲間である、という意識です。

人生のタスクと向き合うことで達成できる3つのタスクは、

仕事のタスク」仕事で関わる人との付き合い

交友のタスク」友人との付き合い

恋愛のタスク」家族や恋人との付き合い

様々な口実を設けて人生のタスクを回避しようとすること事態、責任転嫁し、人生のタスクから逃げていることになります。

対人関係のトラブル

対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと、あるいは、自分の課題に土足で踏み込まれることで引き起こされます

そのため、自分と他者の課題を分離する必要があります。課題の見分け方は、「その選択によって引き起こされる結末を、最終的に引き受けるのはだれか?」を考えることです。

『馬を水辺に連れていくこと(自分の課題)はできるが、水を飲ませること(他者の課題)はできない。』自分を変えることができるのは自分しかいないのです。

自らの生についてあなたにできるのは、自分の信じる最善の道を選ぶことです。その選択について、他者がどのような評価を下すのかは、他者の課題であって、あなたにはどうにもできないことです。

他者の課題には介入せず自分の課題には介入させないことが重要です。

承認欲求を否定する

承認欲求は不自由を強いる。

アドラー心理学では承認欲求を否定します。「人に認めてもらうことが喜びであり、満足感を得られる。人からほめられることで、やる気がでる。」という考え方は認めません。

他者の承認を求めるということは、他者の期待の中で生きるという事です。

私たちは他者の期待を満たすために生きているのではありません。そして他者もまたあなたの人生を生きてはいません。

本当の自由とは何か

自由とは他者から嫌われること。

わざと嫌われろと言っているのではありません。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできないのです。

対人関係のカードは「わたし」が握っています。そして、「わたし」が変わったところで、変わるのは、「わたし」だけです。他者を変えることはできません。

あなたは世界の中心ではない

人の心と体は切り離せません。これ以上分離できない状態の最小単位を「個人」とし、そこから全体としての「わたし」を捉えること「全体論」といいます。全体論の最小は「わたし」と「あなた」です。

対人関係のゴールは共同体感覚を得ることです。他者を仲間と見なし、そこに自分の居場所があると感じられる感覚です。

他者からどう見られているかばかりを気にかけて生きる生き方こそ、「わたし」にしか関心をもたない自己中心的なライフスタイルだと言えます。「わたし」は世界の中心に君臨しているのではありません。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体としての一員であり、全体の一部なのです。

共同体の範囲は無限大です。 家庭、学校、地域社会、国、世界、宇宙。関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる不自由な生き方です。小さな共同体の中で生きづらさを感じたら、より大きな共同体の声を聞きましょう。

叱ってはいけない、ほめてもいけない

ほめるという行為には、能力のある人が能力のない人に下す評価という側面が含まれています。ほめたり叱ったりする背後にある目的は、操作です。アドラー心理学では、あらゆる縦の関係を否定し、全ての対人関係を横の関係とすることを提唱しています。そして、横の関係に基づく援助のことを 『勇気づけ』と呼んでいる。

意識の上で対等であること、そして主張すべきことは堂々と主張することが大切です。

ありのままの自分に自信を持つには

自己への執着を、他者への関心に切り替え、共同体感覚を持てるようになりましょう。

そこで必要になるのが 『自己受容』 『他者信頼』 『他者貢献』です。

自己受容

出来もしないのに、「私は出来る!」と暗示をかける自らに嘘をつくような、自己肯定ではなく、60点なら、その60点のありのままの自分を受け入れることです。

他者信頼

信用と、信頼は違います。信用は条件をつけて信じることであり、信頼は他者を信じるにあたって一切の条件をつけないことです。

それは、裏切られることもあるし、損することもあるかもしれません。しかし、私たちは他者を疑うこともできるし、信じることもできます。他者を仲間とみなすことを目的としている場合、どちらを選択すべきかは明確です。

他者貢献

仕事の本質は他者への貢献です。それが行為のレベルで役に立てなくてもいいのです。目に見えない貢献、存在していると言うだけで他者貢献していると実感できればそれでいいのです。

「ありがとう」と感謝の言葉を聞いた時、自らが他者に貢献できたことを知ります。共同体にとって、有益なのだと思えた時にこそ自らの価値を実感できるのです。他人に評価されるのではなく、自らの主観によってわたしは他者に貢献できていると思えることが大切です。

自己受容、他者信頼、他者貢献において、変えられるものと変えられないものを見極めましょう。与えられたものは変えられませんが、それをどう使うかは自分で変えられます。

人生とは連続する刹那である

人生最大の嘘 ”は 「いま、ここ」を生きないこと。

過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」に何の関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではありません。

『「いま、ここ」に強烈なスポットライトをあて、ダンスするように生きよ。』それが未来を作っていきます。

世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえません。

一般的な人生の意味はない。人生の意味はあなたが自分自身に与えるものだ

アルフレッド・アドラー(嫌われる勇気)

読んだ感想

この本を読むまでは、嫌われる勇気を持てば無敵!のような内容が書かれているのかと思っていました。いい嫌われ方や、嫌われるメリットなどが書かれているのかなと。全く違いましたね。

今までの、無意識の中での感情や行動が、アドラー心理学の教えによって、ひっくり返されてしまうように感じました。青年と哲人の対話形式の物語も、自分が青年になって、哲人に質問しているかのように、感情をぶつけているように読み進めることができます。私的には読みながら、もっと突っ込みたいところもありました。

『存在しているだけで価値がある。』その事に気づかされました。「他者や過去、未来にとらわれず、今この瞬間を最大限に楽しんで生きていく!自分の人生を決めるのは自分自身である。」という、わかっているようでわからなかったことが、すっきり解決できました。

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